突然だが、カンタルチーズがフランス最古のチーズと呼ばれていることをご存知だろうか。
カンタルチーズは、オーヴェルニュ地方のカンタル県を中心に生産されている、牛のミルクを用いたセミハードタイプのチーズである。
ちなみにこの「セミハード」という名称は、利便性から用いているが、個人的には好まない。
セミハードチーズとは、あくまで英語でのカテゴリー分けの呼び名であり、フランス語ではFromage à pâte pressée non cuiteという。
フランス語で書いている通り、「加熱していない、圧搾されたチーズ」だ。
フランスのチーズ業界ではしばしば略してPPNCと記される。
日本では「セミハード」のほうがとにかく簡便なのだろうが、英語のカテゴリー分けを用いることで、本来示されていた詳細が省かれているということを知っていてほしい。
本題に戻ろう。
「カンタルチーズ 最古」
とか
「カンタルチーズ 大プリニウス」
とかでググってみてほしい。大体同じ情報が出てくる。
検索結果にはチーズ関係の大企業も堂々と名を連ねている。
そこには「カンタルは2000年以上の歴史を持つチーズ」とか「古代ローマの大プリニウスが『博物誌』に、カンタルがフランス最古のチーズだと書いていた」とか書かれている。
全く同じフレーズが書かれているケースが多いので、かなりコピペされ続けてきたんだろうと予想する。
その文を読んでふと考えた。
そういやロックフォールチーズの歴史でも同じこと言ってたし、ライオルチーズの歴史でも結構同じ時期のこと言ってるぞ?ん?
と気になった。
そこで、実際に大プリニウスが書いた博物誌の原文を読んでみた。
チーズの話は、博物誌11巻、XCVI. (XLII.) [1] に出てくる。
そこにはラテン語でこう書かれている。
Laus caseo Romæae, ubi omnium gentium bona cominus judicantur, e provinciis, Nemausensi præcipua, Lesuræ Gabalicique pagi : sed brevis, acmusteo tantum commendiatio.
出版されているフランス語での訳はこちら。
Le fromage le plus estimé à Rome, où l’on juge en présence l’une de l’autre les productions de tous les pays, est, parmi les fromages des provinces, celui qui provient de la contrée de Nîmes, de la Lozère et du Gévaudan ; mais le mérite en dure peu, et il ne vaut que tant qu’il est frais.
日本語の拙訳はこちら。
ローマの品評会で最も評価されたチーズは、近隣のチーズでいえばニーム、ロゼール、ジェヴォーダンからきたチーズです。しかしその価値は短く、新鮮な状態のものに限ります。
「カンタル」って、どこにも書いてない。
ニームなんてはるか彼方。
ちなみに当時のロゼールとジェヴォーダンは、現在の地理区分ではなく、もう少し広い範囲を示すが、それでもロゼール県周辺であることに違いはない(ジェヴォーダンもロゼール県の中にある)。
確認のため言うが、ロゼール県では、カンタルは生産されていない。
(カンタルチーズの生産地域は、カンタル、アヴェロン、ピュイ=ド=ドーム、コレーズ、オート=ロワール県)。
これを読んでなぜ「こりゃカンタルチーズのことだな」って、思ったんだろう。
日本語でだけこんな情報が流れている?
とも考えたが、どうやらフランス語でも同じような情報が書かれている。
フランス語のチーズブログなんかを探せば、すぐに
「カンタルはフランスで一番古いチーズです」
「大プリニウスがそう言ってました」
なんて言葉が出てくる。
カンタル県の文化遺産を紹介するウェブサイトでも、大プリニウスのはなしを引き合いに出し、丁寧に説明しているものがある。
On le fait souvent remonter aux Romains, en invoquant Pline l’Ancien, qui dans le livre XI de son Histoire naturelle, chap. XCVII (XLII), évoque le fromage le plus estimé à Rome, qui provient « de la contrée de Nîmes, de la Lozère (?) et du Gévaudan » (« Lesurae Gabalicique pagi »). Ce n’est pas tout à fait le pays des Arvernes, mais ce n’est pas loin.
拙訳
「カンタルチーズの歴史を語る際、よくローマ人を引き合いに出します。大プリニウスが執筆した『博物誌』11巻XCVI. (XLII.)において、ローマで最も評価されたチーズはニーム、ロゼール(?)、ジェヴォーダンのチーズと書かれています。Arvernes(いわゆる昔のオーヴェルニュ)とは書いていませんが、遠くはないですよね」
そう、遠くはない。遠くはないけど、すごいな、その断定の仕方。
なんていうか、すごく、根拠のない自信を感じる。
「ロゼールかあ…カンタルの生産地域じゃないけど、遠くないし、多分これカンタルチーズのことやろ?じゃあカンタルチーズって言ったろ!」
感がすごい。
それに、原文の中で「新鮮なチーズに限る」と言っている点については目もくれていない。
カンタルはフレッシュチーズではない。
熟成させるチーズだ。
フランス国内では、大プリニウスのこの一節はさまざまな推測がされており、カンタルチーズのほかにも、ライオル、ペラルドン、ロックフォールの間で、「我こそが大プリニウスが書いたチーズである」という論争をずっと続けている。
真実は霧の中、一生明るみにならない可能性が高い。
しかし断言できるのは、ローマ時代なんてはるか昔で、その当時に今と同じ製造工程が行われていたとは考えにくい。そして生産地域の区分という概念も今ほどにはなかったはず、ということだ。
そのため、
「この地域でチーズが製造されていた形跡があった」
とは言えても、
「大プリニウスは××チーズの話をしていた」
なんて断定は、なんとも烏滸がましく感じる。
しかしながら、カンタルチーズを売りたい当事者たちは、
「大プリニウスが言及したチーズの生産地域とカンタルチーズの生産地は近いから」
という理由で、「最古のチーズ」というキャッチフレーズを作り、情報を発信し続けた。
もはや言ったもん勝ちの世界だ。
それを訂正する流れはもちろん何度かあった。
フランスの新聞や文献で、歴史家たちはその記述の不適切さに言及し続けてきたのだ。
しかし、ビジネスの世界では歴史家の話より売れる話が重宝される。
「フランス最古のチーズ」なんてマーケティングにもってこいだ。
こうしてチーズ屋やチーズブロガーなどに発信され続けた不正確な情報は、どの国でも「フランス人がそう言うなら確実だ」とすんなり受け入れられ、事実(原文)を確認されることもなく、その通りに訳された。
最終的に日本でも
「大プリニウスがカンタルチーズはフランス最古のチーズだと言ってた」
という情報が、疑うことを知らない純朴な人たちのおかげでしっかり広がった。
カンタル生産者は謝辞を述べるべきだ。
ただ、コピペする前に、どうか、原文を読んで欲しい。
その一言に尽きる。