パリ慕情

パリ慕情

よっすよっす。元気?そんなわけで突然なんだけど、ちょっとパリについて話したい。

パリといえば、私がフランスに住んでいることを知っている日本の知人から
「久しぶり!今度パリに行くことになったんだ。せっかくだからお茶しようよ!」
というライトなお誘いをいただくことがある。

しかし、フランス=パリではないということを忘れないでいただきたい。
なんたってフランスの国土面積は日本の1.5倍。なんやかんや結構広い。
例えばわたしの住む村からパリまでは、車と電車を乗り継いで約8時間ほどかかる。
どこでもドアを日本のおみやげに持ってきたまえ。
いや、持ってきてくださいほんとお願いします。

ちなみに、私はフランスの田舎に引っ越してくる前、パリの大学院生だった。
思えばこの院生時代、事実上私はパリに住んでいたが、家と大学院、もしくは家と図書館の往復のみで、ろくにこの都を楽しんだことがなかった。

皆が思い描くような、ベレー帽を被り片手にフランスパンを持って、エッフェル塔をバックに素敵なパリジャンとデートをしてキャンパスライフを満喫してるような、そんなパリジェンヌとはかけ離れた世界に住んでいたのだ。

まず第一に、奨学金も皆無の貧乏学生だったので、パリに軒を連ねる幾多の星付きレストランなどというものは、空のお星様より遠い存在だった。
また、課題にも日々追われていたので、豪華絢爛な文化的建造物やモードさえ、その頃の私にとっては街のキャッチを断るが如く「あ、今ちょっと忙しいんで…」と伏し目がちにテンパりながら通り過ぎていったものだ。
なんて勿体無い暮らしをしていたことか!

パリから離れ、正社員として田舎で働き出してから3年が経ち、この前久しぶりに旅行を楽しむためだけにパリに戻ってきた。
そして、初めて右岸から左岸まで、一人で気の向くままに数時間ほど歩く機会を得た。
学生時代は地下鉄ばかり使っていて、ろくに街の景色など楽しんだこともなかった気がする。
ほんと、なんて勿体無い暮らしを。割愛。

そこで改めて実感した。パリの景色は無限に変容する。
映画館、美術館、カフェ、古本屋、レストラン、と各々が自慢げに洒落た看板を掲げ、行き交う人々に対して芸術的挑発を行っている。
オスマン様式の建築が続く街路は、いつか映画で見た景色そのものだ。

もちろん、映画のように綺麗な景色ばかりではないので、パリに理想を抱きすぎるのはおすすめしない。
マスメディアは「美しい街並みの都、パリ」という虚飾を広めすぎた。実際、理想と現実の落差に戸惑うパリ症候群という病は実在するし、患者は特に日本人女性が多いと聞く。

もし、まだ見ぬパリに恋焦がれている乙女がこの文を読んでいるのであれば、念のため言っておかなければならないことがある。
パリの幻想に溺れてはいけないよ乙女。
理想も現実もすべて受け入れてこそ本物の愛だと私は主張したい。

かく言う私はというと、パリの不平を言うことは多々ある。
しかし、歩くたびに心惹かれる景色があり、出会う人との映画がある。
学生の街としても活気に溢れ、多様な文化が行き交っている。

パリに住んでいた頃、お金に困っていた時も、精神的に困っていた時も、ボランティアとして弱者を支える機関がいくつかあり、私に手を差し伸べてくれた。
デモやストライキは絶えないけれど、そうした行動さえ時にフランス社会全体を好転させる力を持っていて、良い意味で人間らしさを感じる。

パリの悪い面もいくつか見てきたが、結局のところ、いつまでも本当の意味では嫌いになれない街なのだろうと思う。

ちなみに、日本で学生だった頃、学士も修士もずっと京都の大学だった。
何を隠そう私は大の京都好き人間で、今だって、私と同じく京都好きの旧友と再会すると、いつもどちらが京都を愛しているかについて不毛の競い合いを行っている。

パリを一人でそぞろ歩きながら、ふと京都と同じ空気を感じた。
観光地や文化の発祥地、歴史的遺産が多くあるという、誰もが知っている点はもちろん挙げられるが、それよりも、もっと内面的な、なんというか、街に対する自身の愛着が似ていたのだ。

京都もパリも、歩いていると、街と一対一で対話しているような感覚になれるという共通点がある。

これといった話題を話すわけではなく、自分の脳内で垂れ流しになっている感情や思考が、この街が醸し出す無言の返事とともにゆるやかに受け入れられている気がするのだ。
具体的な答えはないのに、許されたような、満たされた感覚になる。

そして、実はもうずっと前から、自分はパリという友人を深く知っている気分になって、寂しさが不思議と消えていくのだ。


精神的な意味で、自分だけが知るパリというものがあり、それは誰にも奪えないものだという確信があることが嬉しい。と感じた、有意義な滞在だった。
オチですか。無いですよ。めでたし、めでたし。